KDMS
旧梅原菓子店修理事業
江戸末~明治初期に建てられた歴史的建造物の修理
江戸末から明治初期に建てられたこの歴史的建造物は、平成25年まで「かどみせ」「さかうえ」「かど」などの愛称で親しまれてきた駄菓子屋さんでした。近所のちびっこには、週刊ジャンプが早く読める店として有名だったようです。所有者が高齢を理由に売りに出され、巡りめぐって氷川神社が取得しました。地域に愛され親しまれたこの建物が壊され無くなっていまうのは惜しみないという気持ちからでした。地域貢献が出来る場所として活用案等を考える場※1が設けられると同時に、いまにも崩れそうなこの建物を先ずは、健全な状態に戻しましょう!と云う事で、修理事業が始まりました。実測調査から基本・実施設計で1年、工事で2年の合計3年掛かりの事業でした。
平成29年7月末に氷川神社 旭舎文庫(あさひのやぶんこ)としてOPENいたしました。
建物の来歴
土蔵造り+塗屋造り+真壁造りで構成
この建物に実測調査に入った時、正直良く解りませんでした。新建材で覆われている部分や朽ちている部分、増改築された部分などもあり構成も複雑でどう造られているのか?新建材を剥がしながら、小屋裏にもぐりこんで、全身真っ黒(鼻の中、喉の中まで真っ黒になります...w)になりながら図面に起こして行く事で徐々に見えてきます。
外観上の特徴としては、西側は寄棟屋根で東側は入母屋造りとなっていて、南西の角を廻るように下屋が南側と西側の道路側にぐるりと廻る構成です。構造的には、西側は、土蔵造りで土壁の厚みは、190mmぐらいで北側前面と2階の西側と南側の西半分が塗られていました。下屋部分は、揚げ戸の跡も残り開放的な造りです。北東側2階は、塗り屋造りで70mm前後の塗り厚で柱梁を覆っています。東側の外壁の凸凹が柱の有る位置です。南東側は、真壁造りで柱は露出した造りになっています。また、転用材を多く使用してあります。大きくは、西側の土蔵造り部分と北東側の塗屋造り部分と南東側の真壁部分の3つ!2階床高さの違いや継ぎ目部分に通しの梁が無いなどの事から3つの建物をここに移築して合体させて一つの建物にまとめた様に感じます。
改修前